たかまさ’s ブログ

還暦親爺が勝手に書き綴る過激ブログ。ご意見無用!

排日、反日の元祖はアメリカだ。

なぜ日本は無謀とも思える対米戦争をしたのか。この答えはアメリカ側の事情を知らないとさっぱり解らない。日教組もなぜと問われても教えられないだろう。なぜなら支那大陸を侵略したはずの日本がアメリカと戦う理由が説明できないからだ。

アメリカ側の事情は実に明治維新の頃からはっきりしていた。

西部開拓で先住民を無慈悲にも絶滅に追い込み、黒人奴隷を使って裕福だった南部アメリカに戦争をふっかけて統合し、アメリカ全土を征服したWASP(白人でアングロサクソンプロテスタント教徒)は、黒人を奴隷から解放した代わりに支那人を拉致してきてこき使い、いよいよ太平洋を越えて支那大陸へ触手を伸ばしていた。

手始めに太平洋のど真ん中にあるハワイを征服・併合する。そのやり方は汚い謀略を用いたものだった。最初に移民してキリスト教を布教し、土地所有の概念もなかったハワイ人を騙して土地を75%も所有してしまう。経済界と法曹界を牛耳るまでになり、現地人をそそのかしてハワイ王朝政府を転覆させる革命を起こす。革命政府は新憲法を制定するのだが、武装白人集団に脅されながらカラカウワ王が署名をしたので「銃剣憲法」と云われている。共和制になってからは王朝を滅ぼす策謀をしてまんまと乗っ取ったあげく、アメリカに合邦を申請して取り込まれたのだ。首謀者がフルーツ王として有名なドールの一族だ。ドールの従兄が初代のハワイ共和政府大統領なのである。

ハワイ王朝カラカウワ王はアメリカの策謀を憂いて明治天皇に合邦を願い出たが、アメリカと事を構えたくなかった明治政府が断ってしまった。しかしハワイ王朝最後の女王リリウオカラニ(カラカウワ王の実妹)が王政復古をしようとした際にアメリカ軍が上陸して圧力かけるという事態になったが、日本も艦隊を送って牽制した。双方の国とも自国民の生命と財産を守るためという名目だった。カラカウワ王の要請で日本からの移民はこの頃2万5千人にもなっていたのだ。ちなみにこの時派遣された戦艦「浪速」の艦長は若き日の東郷平八郎だった。

次のアメリカの狙いはフィリピンだった。フィリピンはスペイン領だったのでここでもアメリカは謀略を巡らす。スペイン領だったキューバで独立運動が激化していた時期だったのだが、アメリカはまたしても自国民の保護を理由に戦艦メインをキューバに派遣する。ところがハバナ湾内でメインは突然爆破・沈没してしまう。これをスペインの謀略と決めつけたアメリカはスペインに戦争をふっかけ、フィリピンに艦隊を送ってスペイン太平洋艦隊を撃滅しマニラ湾を占拠する。この時の有名な米国民の合い言葉が「リメンバー・メイン」だ。どこかで聞いたことのある合い言葉と似ている。

アメリカはスペインからプエルトリコ、グアムを割譲させ、キューバを軍事占拠して保護国とし、フィリピンを独立運動にかこつけて植民地にしたのだ。

こうして着々と太平洋を内海化していよいよ支那大陸へ市場を求めて出て行ったアメリカの前に立ちふさがったのが日清・日露の両戦争に勝利した日本だった。

日本は清朝ロシア帝国の脅威から自国を守るために朝鮮半島の独立を勝ち取ったのだが、清朝が弱体化した支那大陸では内乱状態になっていた。そのため日本軍は満州や上海などの租界地に守備隊を置いていた。軍隊がいなければ治安は維持できなかったからだ。

支那大陸ではすでに英独仏露が権益を分けアメリカの入り込む余地はなかった。唯一残されていたのが無人の荒野・満州だった。しかしそこには無敵の関東軍がロシアとの国境警備についていた。

アメリカは満州鉄道を共同経営しようという提案をしていたが、鉄道王ハリマンと桂太郎の協定は小村寿太郎の猛反対で破棄されてしまう。正攻法を諦めたアメリカはまたしても謀略を用いることにした。やり方はハワイの時と同じだ。始めに宣教師を派遣して教会を建て施しと教育をした。支那大陸には2000箇所もの教会があった。宣教師達はアメリカ製品を売り込むために日本製品を排除する運動をけしかけ、支那人に排日運動を起こさせた。これが支那大陸での排日の始まりだ。

アメリカは蒋介石の国民政府軍、張作霖軍閥などを軍事支援し日本軍と戦わせた。毛沢東は新たに誕生したソ連という共産主義国の手先となって内乱を激化させていた。共産軍は見境なく大陸各地で略奪と殺戮を行った。アメリカは国民政府軍に戦闘機を与えて日本軍や租界地を襲わせたが、支那人はろくな操縦ができなかったために最後は米兵が操縦して爆撃をするはめになった。フライング・タイガーとして知られているのがそれだ。とっくの昔に日本軍はアメリカと戦っていたのだ。

裏でアメリカが支援しているのは解っていたので、日本はアメリカに手を引くように再三要請したが、最初からアメリカにその気はなかった。しかし正面切ってアメリカと戦うことは日本も考えなかった。

なかなか直接出てこない日本に業を煮やしてアメリカはスペインとの戦争を真似ることにしたのだ。つまり日本がどこかでアメリカの戦艦を突然爆破すれば戦争が始まる。そうなれば物量では勝てると踏んでいた。

どうやって日本をおびき出すか。それが日米戦争始まりの本当の理由だったのだ。