たかまさ’s ブログ

還暦親爺が勝手に書き綴る過激ブログ。ご意見無用!

大東亜戦争

70年前の戦争を太平洋戦争というと日本がアメリカとだけ戦ったように思える。しかし日本はあくまで大東亜戦争を戦ったのだ。日本の真の戦争目的はアジアからの資源確保だった。だから侵略したのか、と無知なアホは思うだろう。朝日しか読まないアホはそういう知識しか無い。

当時のアジアは全部イギリスやフランスやオランダの植民地だったのだ。つまりアジアを攻めるということはアジア人を奴隷にして搾取していた白人種を攻めたと言う事なのである。だから日本軍はアジア人にしてみれば解放軍だったのだ。それが日本の真の戦争目的だった。だから大東亜戦争なのである。日本がアジア諸国に多大な迷惑をかけたなどと、事実を知る者にとっては何の話だとしか言えない。

アメリカは遅れて来た侵略帝国だ。支那大陸を狙ってハワイを侵略し、フィリピンまで来ていた。フィリピンはそれまで300年間スペインの植民地だった。アメリカはスペインに戦争を吹っかけて南米ではプエルトリコキューバを取った。フィリッピンもついでのように奪いにいったが実はこっちの方が真の目的だったのだ。フィリッピンはスペインからの独立のチャンスとばかりにアメリカと共にスペインと戦った。アメリカもフィリピンの独立支援を約束して協力させたのだ。ところがアメリカはあっさりその約束を反古にしてフィリピンの独立を認めず植民地にして弾圧したのである。圧政をしたのがアーサー・マッカーサーダグラス・マッカーサーの父親だ。アーサーはフィリピン人を20万人は虐殺したと云われている。

1941年12月日本軍がフィリピンのアメリカ軍を攻めた時に司令官だったのはダグラス・マッカーサーだった。ダグラスはフィリピンの有名ホテルを共同経営したり、金鉱へ秘密投資したりしていた。親子でフィリピンを食い物にしていた訳だ。ダグラスは圧倒的な日本軍の勢いにこっそりと部下を置き去りにして敵前逃亡を図りオーストラリアに逃げた。この時の屈辱をダグラスはなんとか晴らそうとして、後にマニラ軍事裁判や極東軍事裁判で復讐したのだ。その証拠にフィリピン攻略の司令官だった本間雅晴中将を退役していたにもかかわらず探し出して処刑している。

バターン半島攻略戦では7万人もの米比兵が降伏して来たために捕虜を収容する場所も無く、半島南端からサンフェルナンドへ移動させるしかなかった。その行程60キロ、炎天下で捕虜の中にはマラリアに罹っていて死ぬ者も多かったという。これがいわゆる「バターン死の行進」と云われる日本軍の悪行だ。しかし手ぶらの捕虜たちと違って日本兵は背嚢を背負って武装したまま一緒に歩いたのだ。しかもサンフェルナンドからは列車に捕虜を乗せているのである。列車でカパスまで行き、さらに6キロ歩いて収容所のあるオドネルへ向かったのだ。どこが悪行かと思う。第14軍参謀長の和知鷹二中将は「死の行進」を理由に処刑された。これもダグラスの復讐なのである。行進中にティータイムを取ったという写真があるほどで、日本軍は国際法をよく守り、捕虜を虐待するほど悪い趣味は持っていなかった。人種差別をして有色人種を虐待する白人とは違うのだ。

1944年には有名なインパール作戦で日本軍はインド国民軍と共にイギリス軍と戦った。日本軍7万8000、インド国民軍1万5000であった。インドはインパール作戦を対イギリス独立戦争と位置づけているのだ。日本の敗戦後にはイギリス軍が戻って来たが、インド国民軍の将校3人を反逆罪で裁こうとしたところ、インド国民の暴動が起きて国内は大混乱に陥った。1947年イギリスは収拾がつかなくなったインドの統治権を返還するに至り、インドは独立を果たしたのだ。インドが世界でも一二を争う親日である理由がこういう事実の結果なのだ。

インドでは東条英機は英雄である。同じインド独立の英雄チャンドラ・ボースと共にイギリスの圧政から独立する事、大東亜共栄圏を構築する事を誓い合った仲だからだ。日本は太平洋戦争などという理由も判らない戦争をした訳ではない。白人種の植民地帝国主義を向こうに回して、アジア人のための大東亜共栄圏を構築するために大東亜戦争を戦ったのだ。

日本は戦争に負けたが、アジアの白人種からの独立はその後確実に続き、結果として白人種の世界征服は失敗した。我々日本人は人種差別をし有色人種を奴隷にしてきた白人種に、ただ一国で立ち向かった勇猛果敢な民族である事を誇りに思ってよいのである。