たかまさ’s ブログ

還暦親爺が勝手に書き綴る過激ブログ。ご意見無用!

民意は保守自由主義に

社会主義の評論家は自民党の大勝が面白くないので民意は反映されていないなどと難癖を付けている。朝日、毎日などの新聞も論調は同じだ。しかし株価の高騰や円安の恩恵で企業は潤い始めている。自由主義経済の歯車を解き放てば必然的にこうなるのだ。それが社会主義者には解らない。格差がさらに広がると言っている経済評論家も社会主義者だからそう言っているのだ。自由主義経済は最初から格差社会だ。平等などには最初からならない。日本はそれでも世界中で最も格差のない国である。

そもそも社会主義や共産主義は格差を怨嗟することから発生した思想である。貴族だけが潤い下層民は奴隷的労働者に甘んじる社会は悪であるという思想だ。だからそれをひっくり返して労働者階級が権力を握ったのが革命共産主義国だった。ところがどうだ。結局新たな階級が発生し特権階級者だけが潤う社会になっただけだった。世界は結局格差のない平等な社会など夢想だと悟った。日本の社会主義者や共産主義者だけが夢から覚めていない。

日本は敗戦後、占領アメリカ軍が共産主義者を育成したことがきっかけで共産主義者・社会主義者=知識人・良識人と思われるようになった。しかしそれは真っ赤な嘘である。自由を束縛し、個性を埋没させるのが社会主義、共産主義だ。なぜなら平等を善とする思想だからだ。個性は不平等の典型だ。才能も平等とはほど遠い。隣近所、どんな家庭も同じ生活、同じ思想を持ち、人と違う事をしないことが平等社会なのだ。

日本は面白いことに自由主義的でありながら常に平等を目指してきた。明治維新を待つまでもなく天皇の基に庶民は平等だった。それは武家社会が金銭を嫌って経済的な富の独占をしなかったからだ。権力は武家が持っているが、経済力は庶民が持っていた。しかも金持ちが尊敬される社会ではなかった。金銭は卑しい存在だったからだ。西洋的な資本主義経済ではない日本流経済は西洋の経済学では分析もできないものなのだ。だから現代の経済評論家など、しかもマルクス経済学などという似非経済学を学んだ評論家などが論じることなどできないものなのだ。

国民は学問がなくても感覚的に判断できる。まずは格差を恐れず経済を立て直すことだ。格差などそれから是正すれば良い。民意はそう言っている。