たかまさ’s ブログ

還暦親爺が勝手に書き綴る過激ブログ。ご意見無用!

松本清張の推理小説は世界的になれない。

清張の代表作「点と線」は列車の時刻表を使ったトリックが有名な推理小説だが、このトリックがトリックとして成り立つのは日本だからであって、他国ではとうてい成り立たない。なぜなら日本以外の国では列車が時刻表通りには動かないからだ。西村京太郎のトラベルミステリーも日本だから成り立つ話ばかりだ。日本の推理小説が世界的になれない理由だ。別に質的な問題ではない。

日本人は列車が時刻表通りに運行されることが当たり前だと持っているが、他国の人間にとっては驚異的なことなのだ。航空機の発着時刻が正確ではないことは日本人でも仕方がないと思っているだろう。他国では列車でも同じことなのである。

ではなぜ日本の鉄道は時刻に正確なのか。それが日本人特有の仕事に対する姿勢に関わる問題なのだ。日本人は仕事を生き甲斐にしてきた。鉄道員も運行を正確にするのが生き甲斐だったに違いない。だから正確さを競ったりした。鉄道は自動車道路と違って交差がないから正確に走ろうと思えば走れる。乗降で時間がかかろうと取り戻すのも不可能ではない。それに日本人はだらだらと乗り降りしないのでより正確に走りやすいのだ。日本人の知的レベルが均等なのも正確な運行には欠かせない要因だろうと思う。

一列に整然と並んで乗り降りする様は、独裁国家かと思われても不思議ではないくらいだろう。日本人は強制されもしないのに整然とした行動が取れる。

日本的なものの中には、世界的になるには高尚すぎるものもあると云うことだ。無人の自販機などは日本以外ではあり得ない光景である。田舎に行けば今でも農家の傍らに無人の野菜売り場がある。欲しい人はお金を缶からに入れて買っていく。こういうことはこの先永遠に日本だけの風習だろうと思う。

世界的が必ずしも良いことばかりとは限らない例だ。
どう思う?ご同輩。