たかまさ’s ブログ

還暦親爺が勝手に書き綴る過激ブログ。ご意見無用!

シナ大陸でのデマあれこれ

悪魔の飽食」で有名な満州での731部隊に関する確たる証拠が出ないので、アメリカに研究が接収されたからとか、情報と引き換えに免責されたとか、まことしやかに云われてきた。森村や角川たちにしてみれば名も知れぬ証言者たちだけが頼りだが、実際に勤務していた人々とは限らないのがネックだ。どうもソ連工作員に仕立てられている気配濃厚だからだ。何しろ原稿を書いたのは共産党の下里正樹という「赤旗」の記者だった男なのだ。森村誠一共産党シンパだ。最初からねつ造臭がプンプンする話なのだ。

南京陥落やシベリア出兵のときに起きたという事件でも、共産中国やソ連に抑留された元兵士たちが吉田清治まがいの告白とやらをすることがあって、証言だけが唯一の証拠とされる場合は、嘘かも知れないと疑って良いだろう。一つの嘘がばれれば、芋づる式に嘘がばれていくものだ。なにしろ嘘から始まったことは、嘘がばれれば根底から崩れていくからである。

シナ大陸で起きた虐殺事件などはどう見ても日本人のやれることではない。

エジプト発掘で有名な吉田作治教授が言っていたことがある。エジプト砂漠での発掘はほとんど墓を掘り返す作業なので人骨が次々に出てくるそうだ。エジプト人のバイトは平気で人骨を蹴飛ばしては作業を進めるが、日本から連れてきた学生は例外なく気分が悪くなってしばらくは使い物にならなくなるという。日本人は人骨に魂を感じるからだそうだ。

現代でもそうなのだから、昭和初期のそれも田舎の農家の出だっただろう日本軍の兵士たちにむごたらしい殺し方などできるはずもないのだ。そんなことをしたら殺された人々が化けて出て、呪わるかもしれないと思わないわけがないではないか。古い因習を信じていたはずだからである。

ところがシナ人たちは、歴史的にむごたらしく殺すことを習慣のようにしてきた。シナには殺しの文化があると云った学者もいるくらいだ。何しろ死刑の種類が何十とあるのだ。それこそ中国史劇にはいろいろな殺し方が出てくる。手足をそれぞれ4頭の馬に縛り付けて馬を走らせ手足を引きちぎるとか、又裂きをするとか、目をえぐるとか、鼻や耳をそぐとか、陰茎を切るとか、女陰に棒を突っ込むとか、日本人から見れば何のためにするのかわからないようなひどいことをするのがシナ人なのだ。しかもそれを隠そうともしない。

日本軍の虐殺の証拠として共産中国が出してくる写真などは、正にシナ人しかしないようなえげつない物ばかりだ。彼らは自分たちがするから別におかしいとは思わないで出してくるのだ。日本人にはとても出来ない殺し方ばかりだ。

日本人で共産中国の肩を持つ本多勝一などは、戦争が日本軍を狂わした、などとしたり顔で言ったりするのだろうが、第1次大戦までは同じ戦争をしていたのに日本軍は軍律をよく守り、武士道精神にあふれていたと世界が称賛したくらいなのだ。もちろん日本が負けたことはなかった時代だ。

たった20年くらいで日本人は突然変異したとでも言うのか。だから負けたとでも言うのか。あり得ないことだ。つまりこれらの日本軍の悪行は全くのでっち上げということなのだ。

問題は何のためにそんなでっち上げをしたかということだ。それが戦勝国アメリカや共産中国がしたことを隠ぺいするためであり、自分たちの犯罪責任を負けた日本に押し付けるためだったのだ。本多勝一や下里正樹は金や名誉欲しさ、あるいは共産思想から彼らの走狗となって日本を裏切った輩なのだ。